「少しの回り道も、人生には必要。
そんなふうに思えた転職でした。」
長島 美裕 Yoshihiro Nagashima
元商社マン
CATEGORY : ベテラン乗務員
更新日 : 2020.03.18順風満帆だった商社マン生活を襲った 世界的な大不況。
外国語大学を卒業後、語学力とアメリカ、フランスへの留学経験を生かして、石油プラントを輸出する商社へと就職しました。入社3年目からはアジア、ヨーロッパ、アフリカといった世界各地へ赴任。契約からセッティングまでの一連の業務を担当するなど、充実した商社マン生活を謳歌していました。そんな私に転機が訪れたのは約10年前、リーマン・ショックが起こったことでした。世界的な不況の波は、私が在籍していた会社をも飲み込み、大規模な人員削減を余儀なくされました。当時、47歳だった私も、その対象者のひとり。大学受験を控えた息子もいた私は、未経験の不安があったものの、一時しのぎの策として、タクシードライバーの道へと足を踏み出したのでした。
EDS観光サービスのスタートが、 私の人生を変えました。
タクシードライバーという仕事を長くつづけることはないだろう。正直なところ、そんなふうに考えていた私ですが、気がつけばすでに10年のキャリアを持つようになりました。その要因のひとつが、日本交通に入社して2年目を迎えた頃に開始されたサービス「EDS観光」への起用です。訪日外国人をお相手にツアーガイド的な役割を果たす観光ドライバーの仕事は、これまでの海外経験をとても活かすことができるポジション。まだドライバーとしての経験は浅かったものの、周囲からの勧めもあり、挑戦してみることにしました。そしてその挑戦が結果的に私の学生時代からの夢への扉を開くことになったのです。
文化と、言葉の壁を超えていく。 そんなお手伝いこそが、夢でした。
学生時代の夢、それは「通訳」の仕事です。外国語大学に進学したのも、実はそのため。外国の方と、日本をつなぐ。コミュニケーションの架け橋になる。そんな働き方にずっと憧れを抱いていました。今私が担当するEDS観光とは、まさにそんな仕事。訪日前からお客さまと連絡を取り合い、リクエストをお伺いし、日本の魅力を想像以上に体験いただけるようなプランを組む。乗車当日は移動だけでなく、言葉のお手伝いもします。これこそがずっと私のやりたかった仕事。それがタクシードライバーへの転職がきっかけで叶うなんて、不思議な気分です。商社マンとしての生活も、転職も、今ではすべてが必要だったと言える。ようやく手にした夢を、これからも全うしていきたいと思っています。
新しいサービスへの高い集客力も、
トップランナーの日本交通ならでは。
EDS観光といった新しいサービスをしっかりと軌道に載せられるのが、日本交通の強みだと思います。同業種で同じようなサービスに取り組んでいる人たちと情報交換をしていると、他社はやはり日本交通ほどお客さまを獲得できず、サービスの拡充にも力を入れらていない様子です。しかし、日本交通はコンスタントにお客さまから選ばれることで実績を残せ、それが体制を強化するきっかけとなり、結果的に対応力の差となって、また新しいお客様の獲得へとつながっていく。そんな好循環を生み出せるのも、日本交通のブランド力と集客力の高さゆえではないでしょうか。